waiting Q

全ファンの代表面ご意見番気取りオタクは、節目ごとにはてなブログで長文を書くんです

そのご多分にもれず、この際総括したいと思います

 

 

 

繰り返し言ってきたように私はovercomeが収録されているアルバムQis.からの永遠新規ラブです 恥ずかしながらQis.までNU'ESTのメンバーすらろくに知らなくてかろうじてレンを知ってるレベルだったと思います 

 

自分がNU'ESTを好きになった頃というのはK-POPの潮流が12年組以後の今日的なK-POPの価値観にすっかりアップデートされた頃で、前時代にこだわりがある化石のような自分は上手くその流れに乗ることが出来なかった頃でした

K-POPアイドルのファンはK-POPというジャンル自体のファンでもある人が多数を占める傾向にあると思うんですが、ジャンル自体に懐疑を持ち始めてしまった私は、もう素直な目でK-POPアイドルを観られなくなりK-POPを聴く気が日に日に失せ、他のファンのように柔軟な頭で若手アイドルを追うことすらなく、ただ惰性で呆然と見ているだけで、「ああ自分みたいな人間はK-POPから自然淘汰されてゆくんだろうな」という考えが頭の中をめぐる毎日でした

 

 

そんな時に偶然、NU'ESTのヨボセヨを聴かなければならない機会があって、全く聴いたことの無かったNU'ESTというグループがいたことをふいに意識し始め、それが偶然、Qis.でカムバックが始まるタイミングだったのも今思えば運命で、腐れ縁だったような気もします。

そうして何気なく見聞きしたovercomeのパフォーマンスとメンバーのヴィジュアルと楽曲そのものは、何故今日まで世間の話題に昇ることがなかったのか、全く理解出来ないほどの5人のまとまりと、世界観の確立と、挙げればキリがないほどの寸分の狂いもないギリギリのバランスで成立していて、これがまた面白いくらいに世間から冷遇されている。その状況に、私はますますK-POPがどこへ向かってるのか分からなくなってしまったのでした。

そうして改めてPledis Entertainmentに所属していること、完全にリリイベドルであること、何回振り返っても、信じられないほどの低い知名度と世間での低評価。まさに皆が目を背けたくなるK-POPのメインストリームから完全に外れて、外されてしまったアイドルでした。信じられないほど少なくて狭い世界に住むファンは口を開けば「売れてほしかった」と過去形で呟き。その頃Pledisの後輩であるSEVENTEENくんが、新人にも関わらず、時代を代表するような売れ方をしていたのは、彼らと彼らのファンの悲壮感を煽るには充分すぎるぐらい充分で、本当に、NU'ESTに対する「好き」を表現することすらも憚られるようで、全部が全部向かい風であり、overcomeの冬の世界は彼らの状況そのものだったと言っても過言ではありませんでした。

 

NU'ESTの魅力は、その雪を溶かすほどの熱さは決して持たないのだけれど、雪の結晶の、肉眼では確認出来ない繊細な美しさのように、顕微鏡を使わなければ認識出来ないようなそういうもので、つまりは、ちゃんとした完璧なプロデュースとお膳立てがあることによって「初めて」世間の人に気付いてもらえるような魅力としか言い様がないもので。その美しさに気付いていた人たちは、Qis.以前までのPledis Entertainmentという事務所の怠惰にどれほど嘆き、苦しめられていたんだろう。デビューから4年経ってQis.のようなあまりにも遅すぎる"テコ入れ"に、辛さに耐えかねた人たちはどのような思いでいるのだろう。思いを馳せれば馳せるほど、私はNU'ESTを好きになってしまいました。それは私のK-POPに対するささやかな反抗心の現れでした。

 

誰かに承認されることを必ずしもゴールとしないこと。だけどK-POPは「他人からの承認」を必ず必要とするジャンルに成り果てていて、それがやはりNU'ESTのPRODUCE101への出演、という形になって現れたのでしょう。

PRODUCE101への出演、それはNU'ESTを続けるための選択。NU'ESTがずっとずっと続いてほしいという私や私じゃないラブの人の気持ちとか、正直望んでない形で実現してしまったと思います。

デビュー5年目で、SEVENTEENが売れちゃって、可哀想だと、みんなに可哀想だと思われること、NU'ESTがそういう存在だと、いったん世界に認識を共有すること。そういう悪い大人の広告でフックをかけることでしか、overcomeの聴くだけで寒い冬の夜が目に浮かぶイントロも、lovepaintの湧き水を手で救うようなサビの音も、聴いてもらえないんだそう。そのことが私はなにより辛かった

 

長年茶の間や現場でアイドルを応援してきて、NU'ESTだけじゃない、アイドルが、綺麗なものだけを見せてくれたことなんてただの1度もなかったです。

 

しかし私の中で一番綺麗なNU'ESTが最も綺麗じゃないものを見せることで、その過程を見せることで、集めた人気は、私がNU'ESTに押し付けてる激しい理想とはやっぱり程遠くて、それはもうポストイット事件に全てが集約されていたような。

PRODUCE101から、ずっとあちらのファンダムには言葉を選び続けて、押し黙ってきたけれど、あのポストイット事件はPRODUCE101によって出来た新たなファンダムに対する私の漠然とした違和を確信に変えるには充分でした。

 

彼らに可哀想だというレッテルを貼ることで彼らの価値を損なっていることに、誰一人として気付かない。

ポストイットを貼る手は、彼らのパフォーマンスに拍手を送るためだけに使って欲しかった。

 

「『SEVENTEENみたいなアイドルになりたいです』っていうNU'ESTが可哀想で泣いちゃった」って言う言葉 耳タコになりそうなぐらい聞いてきました

PRODUCE101の可哀想な部分を沢山観るくらいなら、NU'ESTの楽曲を1曲でも多く聞いてあげて欲しい。

 

可哀想で応援しようと思った、より

顔が良くて応援したい、

歌が好きで応援したい、

何だかいつも馬鹿やってるから応援したい、

その言葉がなんと有難いことか。

 

NU'ESTは贔屓目で見てもK-POPという文脈の中では特別歌が上手い方でもダンスが上手い方でもないボーイズグループで、だからこそそういう草食で、文科系な雰囲気のコンテクストを読める人のみがNU'ESTに真にハマれるのでしょう

 

もういい加減、可哀想なNU'ESTを卒業しなきゃ 卒業させてあげなきゃ

 

「W」と一緒に、「可哀想」の枕詞を外しましょう 

 

Pledis Entertainmentにいる限り、夢のまた夢...だとは思いたくない

あの会社を取り巻く邪悪さをつっ跳ね返すほど、5人は強いと、私は思ってます

私はやっぱりNU'ESTを好きで好きで仕方なくて、その道がどんなに平じゃなくても、後ろ指さされても、シンプルに「普通になる」まで、ずっと、ずっと、ずっと待ってて、最早メンバーに女がいようと男がいようと、最悪、法に触れない限りずっとずっと好きでいたい

だって普通に愛されるグループだからNU'ESTは

 

いままでありがとうNU'EST W

そしてあけましておめでとうNU'EST

本当に、アイドル音楽の楽しさを私にもう1度思い出させてくれてありがとう

 

 

 

だからなんだという話でした

あけましておめでとうございます